佐賀インターナショナルバルーンフェスタの歴史
history
1978年、福岡県甘木市で開かれた「バルーンフェスタ・イン九州」という小さなバルーンミーティングがその始まりでした。1980年からは会場を佐賀平野に移し、佐賀での熱気球大会がこの年にスタートしました。
1984年からはアジアで初めて国際大会を開催。大会名称を「佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ」と改め、現在に至っています。1980年の開催時から競技中心の運営を行っており、日本国内の熱気球チャンピオンを決める「熱気球日本選手権」は、1984年の第1回開催以降、2022年までに27回、佐賀インターナショナルバルーンフェスタに合わせて開催されてきました。この熱気球日本選手権は、2年に1度開催される熱気球世界選手権の選考に大きく関わる競技大会でもあるため、日本の優秀な熱気球パイロットがこの大会のために集まるとも言われています。
「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」では毎年、アジア最大規模のスカイスポーツ国際大会として、この大会の総合優勝者に与えられる「パシフィック・カップ」部門には国内外の一流選手が集まり、2022年まで延べ2,500機を超える熱気球が参加しています。開催当初の優勝者はいずれも外国選手でしたが、1993年以降、徐々に日本人がチャンピオンとなる年が増え、日本人選手は国際的にも高い評価を受けています。
国際航空連盟(FAI)加盟各国の代表選手による熱気球競技の世界大会「熱気球世界選手権」は2022年までに24回開催されたうち、1989年・1997年・2016年の3回を佐賀で開催。2016年の大会では31カ国から世界選手権競技気球105機、その他の参加気球をあわせると186機の熱気球が佐賀の空を埋め尽くしました。選手権が開催される欧米各国に比べ、決してフライトエリアが広くない中で緻密な競技運営を実現した実績を踏まえ、熱気球国際大会開催能力の高さを評価していただいています。
熱気球を応援してくださる方々や子供たちの為に、1992年から、シェイプド・バルーンという変形気球を集めて、観客の皆さんに楽しんでいただく「バルーンファンタジア」を開催。様々なキャラクターバルーンを楽しめるこのイベントは子供達にとって一番人気あるイベントの1つになりました。
また、日没後の夕闇、幻想的な熱気球の係留飛行シーンをご覧頂く「ラ・モンゴルフェ・ノクチューン」(夜間係留)も併せて開催。日没後の夕闇の中にバーナーに照らされた幻想的なバルーンは昼間と違った姿を見せ、「バーナーズ・オン!」の合図とともに熱気球のバーナーの炎が一斉に点火される瞬間は、観客がカメラやスマートフォンを構える瞬間の一つです。
夜間係留イベントは全国の熱気球大会の夜のイベントに欠かせないものになりましたが、佐賀バルーンフェスタでの参加機数は日本最大規模を誇り、2013年には「日本夜景遺産」の「ライトアップ夜景遺産」に認定されました。
1997年からは子供たちへの熱気球教室「キッズ・デー」なども企画し、ファン層の広がりを見せています。
たった5機で始まった小さな大会も多くのバルーニストと多くのボランティアの方々に支えられ、今では世界中から注目されている熱気球国際大会に成長しました。2022年までの累計来場者数は約2,880万人となりました。
様々な国の外国人パイロット、そして日本各地から参加するパイロットへこれからも熱き声援をお願いします。
最終更新日 2023年09月26日