熱気球の歴史

1783年11月21日、フランス人モンゴルフェ兄弟の作った熱気球によって人類は初の飛行に成功し、同年12月1日、同じくフランス人ジャック・シャルルの作った水素を詰めたガス気球も飛行を達成して人類の空への道が開かれました。

その後、飛行船の登場や、飛行機の発明を迎え、実用面での気球の役割は終わりましたが、スポーツとしての気球が、19世紀から第1次大戦にかけてブームを迎えました。
ただし、熱気球は球皮内の温度を、長い時間飛行するのに十分な温度を高く保つ方法が見つからなかったため、今世紀半ばまで、気球の主流を占めたのはガス気球でした。
しかも、ガス気球は飛行するのに非常に費用がかかるため、一般の人には手の届かないものでした。
第2次大戦後、化学繊維の発達やプロパンガス利用による、熱気球の研究が進み、1960年、エド・ヨストが、9,300ft(約3,000m)の高度を飛行しました。
これ以降、現代熱気球は飛躍的な発展を遂げ、新しい、スポーツバルーンのブームが世界中に広がりました。

日本での気球の歴史は、明治10年(1877年)に西南の役の戦いに、海軍兵学校の7名によって日本最初のガス気球が作られ、東京の空を飛びました。そして、太平洋戦争終了まで、主に軍事用として利用されてきました。その中には、有名な風船爆弾などが見られます。
1969年9月28日、日本初の熱気球「イカロス5号」が北海道で飛行し、国内での現代熱気球の歴史が始まりました。これは、京都のイカロス昇天グループと北海道大学探検部が共同で作り上げたものでした。
1973年9月、「日本熱気球連盟」が発足し、75年「日本気球連盟」へと発展し、日本で唯一の気球活動の統一団体として、現在に至っています。
同時に、気球のフライトに適した条件のエリアも次々に開拓され、気球愛好家の活動も全国へと広がり、各地で熱気球大会も行なわれるようになりました。

ここ佐賀で1980年から例年実施されている「佐賀インターナショナル・バルーンフェスタ」は、国内はもちろんアジアで最大の大会として80万人の観客を集め、89年にはアジアで初めての世界選手権が行なわれています。

最終更新日 2016年05月20日

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